2017年8月30日水曜日


ココロの言葉(10)

 

「学校なんか行かなくてもいい」という言葉は非常に大切だし、真理でもある。

                      曽野綾子「透明な歳月の光」より

 

 現在日本では、学習の場は、公の学校と民間の学習塾に限られていますが、もっとさまざまな学習の場が必要とされています。その背景にいまの子どもたちの多様性が考えられます。学校臨床で子どもたちの支援をしている教育関係者の多くが、このことを実感しています。

 実際、いまの集団教育を柱とした学校の教育活動の限界に対して、多くの子どもたちが息苦しさを感じ、悲鳴を上げています。この傾向は、「発達」の特性を持った子どもたちに顕著に表れています。現在公立学校では、特別支援教育という形で学習支援がなされていますが、あまりに不十分な状態です。

 いまの学校教育にはなじめず、不適応を起こしているが、「学びたい」と思っている子どもたちの真のニーズに応えるサポートが求められています。そんな可能性を無料塾というなんの制約もないボランティアの教育活動で探っていけたらと思います。

2017年8月17日木曜日


ココロの言葉(9)

 

不登校は、「いのちの非常口」です。

心理カウンセラー 内田良子

 

 日本では、学校の休み明けに、たくさんの十代の子どもたちが、自らいのちを絶っています。内閣府の集計による過去42年間(1972~2013)の18歳以下の日別自殺者数をみると、毎年9月1日にその人数が最大になっています。この日は通常、二学期が始まる日です。次に多い月は、4月の初旬です。言うまでもなく春の新学年の時期です。

 この4月と9月に、「学校を休むのはいけないこと」「自分は生きる価値がない」と自分を責めて、各月で100人前後の子どもたちが死を選んでいます。ここには、自殺未遂の人数は含まれていません。この人数も加えたらかなりの人数になることが推定されます。

 すべての子どもたちに「学校を休む権利」があります。これは、「児童の権利に関する条約」で国際的に保障されています。日本は、1994年に批准し、その5月から発行されています。一般的に「子どもの権利条約」と呼ばれています。

 そこで、周囲の大人たちができることは、「学校を休む権利」があることを理解することです。そして、そのスタンスで子どもたちに対応することです。そうすることで、子どもたちが責められることなく、気持ちが少し楽になり、どうすればいいかを冷静に検討できます。登校するか休むか、または別な方法か、さまざまな選択肢があることがみえてくるでしょう。

 あまり無理しないで、ゆっくり休むことも自分の権利だとわかるだけで、若いいのちを守ることができます。